井深 茂太郎
いぶか・もたろう




(1853〜1868)


白虎士中二番隊自刃隊士。
若松城下、本三ノ丁奏者番300石、井深守之進長男。母きよ子。文学に優れた英才。武術の心得も相当なもので剛胆で勇気があった。通常16歳以上、それも秀才のみに受けることが許される日新館講釈所(大学校)の入学試験を13歳で受験し、見事合格。藩内における当代最優秀の青年文士の筆頭に挙げられた。文才に秀でていながら性格は豪胆で、深夜に行くと奇異なものを見るという噂のある石地蔵尊へわざわざ星のない夜を選んで出かけ、付近を徘徊しつつ夜を明かしたというエピソードを持つ。結果、「奇異なものとは、臆病な心の中に映る幻である」と看破してみせた。いっぽう慈悲の心も深く、幼い子の手をとったまま路傍に伏せてしまっている老翁を捨て置くことができず、持っていた金を全部渡し、その後の身の振り方などにも心を砕いたという。
白虎隊出陣の嘆願書は石山虎之助と二人で書いたが主として茂太郎が書いたと言われ、そのすぐれた文章は後世に伝えられる。
会津戦争後、親戚の者が茂太郎の死に場所を占ってもらったところ、「飯盛山に戦友とともにある」といわれ、早速出かけていって掘り返してみると、確かに茂太郎のものであった陣羽織とともに遺骸が出てきた。遺族は遺骸をその場に再び埋め戻して頭髪のみを持ち帰り、柩に納めて大窪山の先塋の地に埋葬したという。法号は深明院殿忠道義人居士。なお、飯盛山では茂太郎の遺骸とともに伊東梯次郎の遺骸も発見されている。
戸ノ口原から飯盛山に引き揚げ黒煙に包まれた鶴ヶ城を見てすでに陥ったと思い自刃して果てた。なお井深一族の子孫にソニーの井深大氏、明治学院・井深梶之助がいる。
墓は福島県会津若松市一箕町飯盛山。
(自刃時16歳)

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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