森川 善兵衛
もりかわ・ぜんべえ



(1804〜1886)


森川家8代善兵衛襲名、名は昌茂、号は指月庵宗久、蒲生時代からの薬種商。茶道を会津藩茶頭諏訪左京頼督に学んで石州流会津怡渓派の奥義皆伝を受け、慶応年間には会津藩茶頭となった。
戊辰戦争後の1872年(明治5年)に鶴ヶ城本丸にあった小庵ゆかりの茶室麟閣の廃滅を惜しみ、自費で甲賀町の自邸庭内に移築し、石州流会津怡渓派の茶道を後世に伝えた。
墓は会津若松市行仁町本覚寺。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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