三沢 与八
みさわ・よはち



(1844〜1891)


会津藩士。
文武両道の達人。江戸の林塾でさらに修学、1868年(慶応4年)日光口を守り伝習隊の差図役頭取。
10月8日(旧暦:8月23日)の鶴ヶ城に籠城、天神橋の戦いで生き残った遊撃隊甲長、長命寺の戦いから城外で転戦。
落城後は越後高田で謹慎後、1870年(明治3年)斗南藩へ移住。
青森県職員となり、75年(明治8年)名を毅に改め、札幌琴似の屯田兵に志願、西南戦争にも出征した。
墓は札幌市平和霊園。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送