酒井 峰治
さかい・みねじ




(1851〜1932)


白虎士中二番隊士。
後に北海道旭川市に移住。
酒井安右衛門の二男として若松城下に生まれる。祖父与一郎は400石で御厩別当。同年輩で坂井峰治という者がいたので、仲間たちは顔色によって、坂井を「青峰治」、酒井は「赤峰治」と呼んで区別していたという。
酒井が明治期に書き遺した『戊辰戦争実歴談』には、酒井らが他の隊士とともに当時の松平家当主喜徳に扈従して福良村へ出張した際にヤーゲル銃が実用に適さないことを痛感、8月22日の出陣に際して城中の武具役人に「無用ノ銃ヲ携ヘテ、戦ニ赴ケト命令スル者、何人ゾ。宜シク殺戮シテ、余等モ自殺セン」と、性能のよい銃を交付するように要求し、最新式と思われる馬上銃を受け取ったなどという、これまでにない生々しい白虎隊の少年たちの姿が活写されている。
幸か不幸か酒井は飯盛山で集団自決したした篠田儀三郎をリーダーとするグループとはぐれ、途中知己の農民に助けられつつ、愛犬のクマと山中で再会するなどというエピソードを残して、鶴ヶ城への帰城に成功。そのまま終戦を迎えた。
明治30年頃は若松の一箕村で精米業を営んでいたらしいが、38年に北海道紋別雄武村へ移住し、その後旭川で精米業を営んだ。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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