牧原 一郎
まきはら・いちろう



生没年不詳


会津藩士。
300石。会津戦争時は隠居して家督を源六郎に譲っていた。
慶応4年8月23日、甲賀町郭門での激戦に奮戦力闘し続けたが、ついに疲労困憊の極に達し、「もはやこれまで」と路上に床机を置いて督戦している容保に「衰老の身を以て国難に遭い、累代の御恩に報いることができないのが終生の遺憾ではありますが、謹みて御暇申し上げまする」と最期の別れを言上した。しかし容保はこれを許さず、「死ぬ時は予も一緒じゃ。死に急いではならぬ」と厚く慰諭した。藩主の言葉に感激し、さらに荒川類右衛門からも諭されて一時は自刃を思いとどまったものの、結局老いから来る自らの体力の限界を羞じ、自邸に入って自刃して果てた。

参考
山川健次郎氏監『會津戊辰戦史』



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