町野 久吉
まちの・きゅうきち



(1852〜1868)


会津藩士。
若松城下に生まれ、町野主水(320石)の弟。
戊辰戦争には兄・主水が越後の小出島の奉行であったため、弱冠17歳で越後方面に出陣。兄の指揮下で三国峠の藩境の守りにつく。
6月16日(慶応4年閏4月26日)の三国峠の戦いで両軍が対峙する中、久吉は槍をもっての突撃を再三兄・主水に切願するが許されず、ついに単身での突入を決行した。濃霧の中から突然現れた若武者に周章狼狽した新政府軍の兵たちは、次々と久吉の華麗な槍さばきの前に薙倒され、一説ではこのとき18人がその槍にかかって突き伏せられたともいわれている。そして最後方の総隊長にまでその槍が届こうとした寸前、ようやく立ち直った将兵らの一斉射撃によって斃された。このとき一斉射撃をした兵の1人であった上州永井村の広吉という人物は、その後60年間久吉の亡霊に怯え続け、臨終の際に「久吉が来る、怖い、怖い」と絶叫して死んだという。首は一週間も梟されていたが梅雨時期のことゆえ腐乱して悲惨な状況になったため、これを見かねた永井村の村人らの手によって密かに駒里山に葬られた。ただこの以前、首を落とされた胴体と四肢は、新政府軍兵士や村人らによって肉をそがれ、生のまま食べられたと伝えられている。英雄の肉を食べれば自らも英雄になれる、という土俗の迷信によるものであった。
墓は群馬県利根郡新治村にある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社
綱淵謙錠氏著『戊辰落日』文春文庫



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