野村 駒四郎
のむら・こましろう




(1852〜1868)


白虎士中二番隊自刃隊士。
若松城下、郭内本二ノ丁供番130石野村清八三男。母みね子。槍が得意で17歳のとき、一旨流の切紙下免許を受けた。
13歳の頃、城下に盗賊が頻繁に出没し、強盗や放火を繰り返している時期があった。そんな折のある夜、野村家の竹林に人の気配があるのを兄が察知した。さては近頃流行の盗賊ならん、と兄が槍をしごいてまさに突きかけようとしたとき、「兄上、しばらくお待ちください。ここは駒四郎にお任せください」とそれを押しとどめ、自ら丸腰で賊に躍りかかり、これをたちどころに組み伏せてしまった。ところがその賊が大声で泣き喚くので灯りを持ってこさせてみると、なんとそれは隣家の下女で、主人からの叱責を逃れて竹林に隠れていたらしい。そこで駒四郎は女のために隣家の主人に詫びを入れ、これを無事に帰してやった。この顛末を聞いた人々は、「駒四郎の勇気が、無益な殺生を未然に防いだ」「平忠盛の故事を思い出す」と誉めそやしたという
戸ノ口原の前線では自分のヤーゲル銃が破損したので、「古式の銃はあてにならない」と、山内弘人小隊頭に「将校なる方は銃の必要はないでしょうから、その銃を私に貸して下さい」と言って山内の連発元込銃を借り受け撃ちまくったり、やにわに抜刀し敵陣に切り込もうとしたりといった豪放なところもあった。
翌日、飯盛山では永瀬雄次が重傷のため林八十治と刺し違える力がなかったので、林を介錯したあと自刃。
戦後、遺族が遺物を拾い集めて菩提所の恵倫寺に埋め、義詮孝忠居士という法号をおくって弔った。
墓は福島県会津若松市一箕町飯盛山。
(自刃時17歳)

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社
宗川虎次氏著『補修會津白虎隊十九士伝』會津弔霊義会 




戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送