小池 帯刀
こいけ・たてわき



生没年不詳


会津藩士130石。
京都守護の一士として江戸へ帰ったが、江戸総引揚げ後の残留組30人に入った。主として旧幕府の所有していた武器弾薬を諒解を取って会津へ送る仕事にあたっていた。
また戊辰戦では工兵隊長として城外で奮闘した。
戦後、越後高田に監禁されたが、若松城陥落に致命的打撃を与えた政府軍砲兵を小田山に導いたのは、極楽寺の僧だったと聞き、謹慎中の高田寺院を脱走してこの僧を斬殺しようとしたが、既に武田宗三郎がやって目的が果された。
しかし橋本川原で斬罪にあった宗三郎を哀れに思い、西名子屋町西蓮寺に晒し首になっていたのを夜間に盗み出して埋葬した。
それ以来、帯刀はしばらく逃亡していたが、民政局の捕吏に探知され、若松の烏橋(新横町)で屋根から飛び降りて逃げるところを足を斬られて捕まり、宗三郎と同じ橋本川原で斬首の刑にされた。

参考
宮崎十三八氏著 『悲劇の会津人』新人物往来社 より




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