小池 繁次郎
こいけ・しげじろう



(生年不詳〜1868)


会津藩士500石。
戊辰の役においては遊撃隊(遊軍隊)寄合組組頭の任にあった。
8月22日早朝、西軍は疾風迅雷の勢いで十六橋を突破、戸ノ口に侵攻するとの報に、松平容保は戦況の不利なるを知り、日向内記に命じて白虎士中二番隊を急派させた。日没になっても朝来の雨はいまだやまず、満天墨を流したようななかで砲声は夜陰を破り、戦闘はまさにたけなわであった。だが東軍の有する武器は槍、または火縄銃のみで、白虎隊だけがヤーゲル銃を有していたがその威力は西軍の銃の比ではなかった。それに加えて火縄銃の硝薬は雨に湿って用をなさず、遂に銃を捨てて白刃をかざして戦うの止むなきに至った。これに反して西軍の軍勢は益々増加し、その戦線は北は日橋川の左岸より南は赤井方面にまで拡大し、東軍はますます苦境に陥った。繁次郎はこうした激戦の中で8月23日、笹山原の戦闘において戦死した。
享年46であった。
倅勝吉はこれより先の正月5日、大砲白井隊組頭として京都にあったが、鳥羽の戦争において戦死した。
享年23であった。

参考
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社



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