岸 俊雄
きし・としお



(1844〜1908)


会津藩士。
幼くして藩校日新館で漢学、武術を修め蘭学も学ぶ。長じて江戸開成所に入り、神田孟格につき数学を学ぶ。1871年(明治4年)学舎を東京八丁堀に開き苟新塾と名づけ数学を教授する。1882年(明治15年)閉塾まで門弟3000人に及んだ。のち工部省に出仕、小樽で没した。
岩手県釜石市港石応寺に埋葬し、東京都港区芝白金興禅寺に墓と顕彰碑がある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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