木村 熊之進
きむら・くまのしん



(1820〜1868)


会津藩士。
会津藩組頭300石。字は中羽。名は重光。号は蕉陰。16歳で日新館の大学生となる。詩を善くし、弓馬剣槍にも通じた。好んで他人の急事に赴いて紛争を解決し、その身を顧みず弱者を助け、強気をくじいたので人々皆この人に服した。気骨のある逸話が多く、乱世の英雄たる性格であったが、職は組頭にとどまる。
奥羽鎮撫総督府下参謀・世良修蔵暗殺に関与したとも伝えられる。
戊辰の役では軍事奉行添役の任にあったが、海外の大勢を察して帰順論を唱えたが聴かれなかった。されば心ならずも荊棘の戦に没せんと、白河口天王山中に奮戦し、5月1日、砲弾にあたり、退いて桜山町において屠腹して果てた。
享年52。
白河市乗越の戦死墓と銷魂碑に合祀。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社



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