一瀬 監物
いちのせ・けんもつ



生没年不詳


会津藩士。
戊辰の役において西軍は戸ノ口原を一夜にして破り、8月23日の早朝に早くも若松城下に侵入して来た。しかし若松城は思いのほか堅固で、西軍は翌日に至っても攻め落とす算段はつかなかった。このとき、長州藩の将有地品之丞は城の南面が防備上弱点であることを知り、ひそかに一隊を率いて城の南方から湯川を渡り、静松寺墓地内に大砲を据え、折をみて熊野口より一気に三ノ丸に攻め入る構えを見せていた。その兵力は一個小隊、、約80名。城内では各方面の防禦に追われており熊野口に人を配すことができなかった、藩主容保は石黒常松に命じて城中から人員を集めさせた(中略)。このとき監物もその一員に加えてもらおうとして槍を取ったが、すでにして老齢にして槍の操作もままならぬことを悟り、「我、力衰えて奉公し難し」と嘆じ、腹を屠って相果てた。

参考
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社



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