萱野 右兵衛
かやの・うへい



(1840〜1872)


会津藩士。
1855年(安政2年)家禄500石を相続。物頭、町奉行、番頭を歴任、戊辰戦争では会津本郷の士分製陶業者を率いて越後に出陣した番頭隊長。水原で奉行を兼ね、敗戦後越後高田に監禁された。1720人の旧会津兵を藩老恪として統轄した。のち部下の招きで本郷に移住、陶土を砕く萱野水車(くるま)を造り業とした。
33歳で病死。
墓は会津若松市東山天寧寺。本郷観音山に萱野隊長碑。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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