河原田 信壽
かわらだ・のぶよし



生没年不詳


伊南順吾種信の子で、順吾を襲称した。治部の父。
幼時より武芸をよくし、特に一刀流溝口派の奥義をきわめた。家禄130石を継いだ。藩内では御目付、槍術指南、学館(日新館)における一刀流指南、幕末における会津藩の房総半島の警備では房総勤番をつとめ30石が加増された。
戊辰の役では83歳の高齢であったが滝沢口に出て戦い、戦死した。
『校訂戊辰殉難名簿』では『八月廿七日堀江町(?)治部父河原田順吾八三」とある。

参考
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社




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