松平 容大
まつだいら・かたはる
(1869〜1910) |
1869年(明治2年)若松御薬園で松平容保の嗣子として生まれる。11世。母は容保の側室である佐久(長男 容大、次男 健雄、五男 英夫、七男 保男の母)。幼名は慶三郎。 戊辰戦争で会津藩が幕府側についていたことから、1868年、会津藩領は没収、藩主である父・容保が鳥取藩預かりの禁錮刑となった。 1869年、生後半年で松平家は家名再興を許され容大(かたはる)を名乗る。 翌1870年1月陸奥国で3万石の斗南藩主となる。政庁を田名部に置く。 1871年廃藩置県となり、東京に移る。 のち、日露戦争に従軍、陸軍騎兵大尉で予備役。 1906年(明治39年)貴族院議員、子爵。 東京都新宿区正受院に葬り、のち会津若松市院内の松平家御廟に改葬。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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