柿沢 勇記
かきざわ・ゆうき



(1834〜1868)


会津藩士。
藩士柿沢勇八の子、名は重任。幼くして鋭敏、藩校日新館に学び、才学をもって知られ、最も詩文に優れた。
藩内では山本覚馬とともに、最も早く蘭学を学び、のち藩命により江戸で洋学を修めた。
藩主が京都守護職のとき公用方となる。
戊辰戦争には大鳥圭介の率いる旧幕軍伝習隊の参謀として参戦、4月23日の宇都宮の戦いでで負傷し、日光で没す。
享年36。
墓は日光市観音寺・(会津若松市)真龍寺と二説がある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社)




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