飯河 小膳
いいかわ・しょうぜん



(1825〜1884)


会津藩士。
名は光義。飯河岩之進光古(100石)の子。
幼少の時に父が没して家禄を減じられたので、家を再興するために刻苦精励して文武を修めた。
京都守護職となった藩主に召されて寄合組に入り、禁門の変では二番槍の功により100石を与えられる。
維新後、中条辰頼等と若松に私学日新館を設立してその教授となり、多くの子弟を教育した。
墓は会津若松市門田町大窪山墓地。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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