堀 悌助
ほり・ていすけ



(1836〜1883)


会津藩士。
鶴ヶ城籠城戦後、東京に監禁されていたが、1870年(明治3年)秋、旧藩主容保世子・慶三郎に松平家再興の内示があって、猪苗代か陸奥の北部か3万石の封地決定のとき、町野主水と永岡久茂が対立、大激論のすえ両者が刀を手にかけた際、出羽佐太郎とともに刀の間に割って入ったので有名。
のちに斗南藩少属庶務掛となり、羽山光和と改名して北海道根室書記官となる。
墓は東京都台東区谷中霊園。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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