樋口 光訓
ひぐち・みつのり
(1842〜1915) |
会津藩の国学者。 真彦と称し、蒼竜と号す。樋口勘次光武の長男。藩校日新館に学び、同大学に進む。若き日に上洛し、京都守護職在任中の藩主に書を呈して時務を論ずる。維新後、岩倉具視の知遇を得てその邸内に移り、西南戦争にあたっては特に功労があった。愛君社を創設して皇道を唱え、のちに皇典講究所創立の基礎をつくった。 墓は会津若松市門田町善龍寺裏山。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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