林 権助
はやし・ごんすけ



(1806〜1868)


会津藩士。
林治左衛門安富の嫡男、林家は代々権助を名乗る家で、名は安定。
槍術、剣術、馬術に優れ、特に洋式砲術に精通した。剛をもって成る人物で、まさしく古武士といっていい勇猛な士だが、後に会津藩が採用した西洋式軍制にも馴染めないながらも奮起して習得したといわれる。
江戸で老中水野忠邦の危機を救ったこともある。
藩主松平容保の京都守護職就任に従って上洛、大砲隊長として8・18政変や禁門の変で活躍した。
鳥羽・伏見戦では大砲隊を率いて鳥羽口の先鋒におり、薩長軍の発砲に応じて奮戦したが、傷を負いながらも決して退かない勇猛さを見せた。伏見奉行所付近では新選組らと共闘、さらに全身に銃弾を浴び、傷がよくならずに大阪に運ばれ、江戸へと送還される途中の船上で藩の行く末を案じながら息を引き取った。
墓は東京都港区芝白金興禅寺と会津若松市東山大龍寺。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送