八田 吉兵衛
はた・きちべえ



(1808〜1877)


戸ノ口堰開削の功労者。河沼郡八田野村肝煎家に出生、字は寛貞。8代会津藩主松平容敬のとき、八田野堰を延長して戸ノ口堰を開削することを命じられた藩士・佐藤豊助を助けて現場監督になり、1835年(天保6年)飯盛山弁天祠を貫通させて、猪苗代湖水を会津盆地まで通水した。
戊辰戦争後、会津若松市七日町の阿弥陀寺境内に「戦士墓」を建てた。現在のものは八田宗吉建立。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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