鈴木 源吉
すずき・げんきち




(1852〜1868)


白虎士中二番隊自刃隊士。
若松城下、郭外下長丁藩医120石・鈴木玄甫二男、母さだ子。
医者の家庭に育ち、何事もなければそのまま医学の道を進んだであろう源吉は 文よりも武に向いていたようで槍は宝蔵院流、剣は真天流、なかでも砲術が得意であった。
10月7日(旧暦:8月22日)に出陣するとき、兄の金次郎は「もし負傷して捕虜となるようなときは、この短刀を使って自決することを忘れるな」と祖先伝来の冬広の短刀を贈り励ました。
源吉は、いざ自刃の場となったときそのとおりにした。
墓は福島県会津若松市一箕町飯盛山。
(自刃時17歳)

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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