遠藤 寅之助
えんどう・とらのすけ



生没年不詳


本業は本郷の陶工。虎之助とも。
幼少から武芸を好み、剣術、弓術、槍術、洋式銃を習熟する。
文久2年、藩主容保が京都守護職に任じられ、藩士1000名がこれに従って上京することとなり、手薄となる国許の留守備隊に組込まれた。慶応4年、会津に兵火が迫るに及んで、陶工仲間31人と血書をしたためて従軍を志願、萱野右兵衛隊に編入される。北越戦線へ出陣し、この間の出来事を「萱野隊従軍記」に書き残した。
7月29日、越後蒲原軍草水村の赤坂山で戦闘中に左腕に銃弾を受け、その鉛害が全身に回り、後送された若松の軍事病院で左腕切断手術を受けるも、妻の実家である大沼郡冑村で死去。
享年41。
戦場へも付き従っていた息子・平太は、後の本郷村村長。

参考
星亮一氏著『平太の戊辰戦争』角川選書




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