荒川 梅二
あらかわ・うめじ



(1804〜1867)


会津藩士。
家老北原釆女の臣。勝国と称し年少より俳諧を好む。孤芳庵・幸国・桂石と号し芭蕉の正風をしたい、江戸の宗匠らと交わり一家をなす。
根本精器と並び若松俳壇の中心的人物であった。句作2千余があり、息子勝茂が「梅二発句集」を編んだが、多くは戊辰戦争の兵火に遭い焼失した。
墓は中六日町宝昌寺(現在はなし)というが戦火に焼かれて不明。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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