縣 左門
あがた・さもん



生没年不詳


会津藩士。
縣岩之進の長男として弘化元年(1844)、若松に生まれた。
戊辰の役では青龍一番中隊半隊頭を命ぜられ、御霊櫃口へ出張、4月に白河へ転戦して手傷を負って帰国した。
開城後は塩川に移され、明治2年高田藩へ御預けとなって謹慎。
同年10月、斗南藩立藩となり五戸七ヶ崎へ移住した。
明治6年、北郡三本木原野に再移住して開墾に従事していたが、同8年5月の屯田兵募集に応募して琴似村に移り、5月23日屯田兵を仰せ付けられると共に、その人材を認められて即日伍長代務を申付けられた。明治10年4月9日、西南の役で熊本県下に出征し、6月4日の人吉攻撃戦では険路を冒して賊巣を突く大功をたて准陸軍曹長に進められた。その後は専ら屯田兵として開墾の任務に尽くす傍ら、18年には屯田兵中尉、24年には大尉に任ぜされ、明治27年には日清戦役に召集されて最後の軍務に服した。
講和後は琴似に帰り、晩年は旧友らと謡曲や囲碁を楽しむ生活を送っていたが、明治34年2月13日死去した。
享年58。

参考 
山田勝伴氏著『開拓使最初の屯田兵』



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