赤羽 伊織
あかばね・いおり



生没年不詳


会津藩士。
御供番(200石)。
慶応3年(1867)12月9日、王政復古の政変で京都守護職を退いた会津藩主・松平容保は京都二条城に入り、ついで12日大坂に下ったが、伊織はその供をしていて翌年正月3日の伏見の変には参戦しなかった。容保の江戸下向にもお供し、また7月28日の野沢への巡行や8月22日の滝沢への出陣の際もお供をした。翌23日、西軍大挙して若松の城下に押し寄せるや城に入って籠城し、同26日、北追手堀の狭間から敵情を窺っているところに敵弾飛来し戦死した。


参考
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社



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