赤羽 衛門
あかばね・えもん



生没年不詳


会津藩士。
赤羽直次郎の兄。250石。
慶応3年(1867)物頭から不時御備組の組頭となり、翌4年2月11日の軍制改革によって朱雀1番寄合組一柳四郎左衛門隊の小隊頭となり、4月中、猪苗代土湯口に出陣。四郎左衛門とともに仙台藩との融和を計っていたが、4月21日の白河落城によって25日払暁の作戦にも敗走する結果となった。そこで28日、仙台藩と一緒に白河へ集結し、仙台藩には棚倉口方面を委ね、赤羽は白河に踏みとどまっていたが、5月1日の西軍の早朝作戦によって味方は不運にも総崩れとなり、せめて仙台藩の兵力だけでも遅滞なく退却させようと援護射撃を行い、自らは西軍の真っただ中に斬り込んで壮烈な戦死を遂げた。
享年29。


参考
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社



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